February 23, 2021

色褪せた暮らし。


 


 優に1年を超えました。新型コロナ感染症が騒ぎになってから。

 誰かが「色褪せた暮らし」と表現していて、まさにそうだなと。

 仕事にも私生活にも大きな変化を強いられ、中には大変な苦境に陥る人もあり、経済もガタガタ。しかし大方の人はぶつくさ言いながらも生き延び、なんとか暮らしを守ってる。「不要不急」と言われたものが生活の中から消え、人との出会いが減り、会話が減り、雑談が減った。なにしろ今の日本は単身世帯が35%を占めていて、家族以外と会うなと言われたら一人になっちゃう人が少なくない。それでもみんな生きている。食べて、人とあまり会わずに仕事して、寝る。

 綾波レイかよ。

 戦争や大震災の時みたいに暮らしが破綻したわけではない。その気になればオンラインであれば人と話はできる。暮らしは回っている。なんなら株価は30年来の最高値。

 それでも、だ。色が、彩(いろどり)がすっかり失せてしまった。味気ない日々。

*   *   *

 生物種としてのヒトが人になったのは、死を認識するようになってからだという説がある。動物は死を認識しない。今を生きているだけ、眼前にある環境に最適な反応をしているだけの有機的なシステムで、システムが劣化、老化して動作が止まってしまえばそこまで。ところが人は、生体活動が停止して生物が物体に変わるのを見て、そこにあった意識や人格、知恵や経験、その人の存在が失われてしまうことまでも意識する。


 先史時代の墓所の遺跡を分析すると、人骨とともに花粉の痕跡が検出されることがある。死を認識した人が、亡くなった家族に、同胞に、花を手向けた証拠だという。

 色だ。花の色。

 言ってみれば、花を手向けることも「不要不急」。花を供えたからといってお腹いっぱいになるわけでないし、敵から逃れられるわけでもない。でも、人は色を添える。

 人は不要不急のことで人たりえている。人は色を愛でるから人だ。

「色褪せた暮らし」が終わるのが待ち遠しいね。

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